『BORN TO RUN 走るために生まれた』はランニングとかウルトラマラソンとか裸足ランニングの経典と言われているわけだけれど、その物語は著者のクリストファー・マクドゥーガルがメキシコの荒野に白馬を探しに行くところから始まる。本書はその白馬、スペイン語でカバーヨ・ブランコと呼ばれる男の物語でもあったわけだ。
そのカバーヨが亡くなった。
http://www.reuters.com/article/2012/04/01/us-runner-death-true-idUSBRE83001R20120401
ニューメキシコ州の急峻な渓谷と荒野が広がるヒーラ国定林で、20kmほどのトレイルを走りに出かけたまま戻らずに、4日後になって遺体で発見された。目立った外傷はないそうだ。愛犬をロッジに残したまま水のボトルを片手に颯爽と走りに行った彼に何があったのかは、もしかしたらこのまま分からないのかも知れない。
そのヒーラには渓谷の断崖絶壁の天然のくぼみを利用した断崖住居Gila Cliff Dwellings National Monument(ヒーラ断崖住居国立遺跡)が残っている。先史時代の息吹が残るその場所は、西欧文明とタラウマラ族の文化の架け橋となったカバーヨにはある意味でふさわしすぎる場所だと言えるかもしれない。
「カバーヨが遺したものはいったい何だったのだろう」ツイッターのタイムラインに次々と上げられるカバーヨ追悼のツイートの中にあった言葉だ。彼がいなければ『BORN TO RUN』という物語も成立しなかったし、そうなると、今現在のランニングをめぐる状況だって随分違ったものになっていたはずだ。
もちろん、そんな本がなくたって、東京マラソンは大盛況で、ウルトラランナーは世界中のトレイルを走り、裸足ランナーはケン・ボブを継ぐカルトとして栄え、カバーヨはメキシコのコッパーキャニオンで人知れず走り続けていただろう。
でもカバーヨは、「走る」ということに対する僕たち現代人の認識を確実に変えた。
それは、走ることは「自由になること」だ、という認識なのだと思う。走ることが楽しいことや自由なことは誰だって知っている。でも本当だろうか? 僕ら現代人は、走ることの周りにあるものにあまりにもとらわれすぎてしまっている。それは時間(タイム)だったり、場所だったり(排気ガスにまみれた都心になぜランナーの聖地があるのだろう)、お金(いき過ぎた商業主義)だったり、情報だったり(それは僕らメディアも片棒を担いでいる)、さまざまなものに、知らず知らずのうちにがんじがらめにされている。もう、そのことに気が付かないぐらいに。
それを僕たちに教えてくれたのは、西欧近代社会からのある種の世捨て人としてメキシコの荒野にわたり、そこで現代文明とは隔絶した伝統的文明社会の中で生きるタラウマラの人々にBORN TO RUNのスピリットを見い出したカバーヨという男だった。彼は20年という歳月をタラウマラの人々と共に過ごし、彼らの価値観、伝統、大地と共に生きる方法、そして「走る」ことについて学んできた。彼の半生を通して、僕らは「走る民族」になれるピュアな体験をこの21世紀に奇跡的に獲得できたのだと思う。それは、たんなる読者の輪を越えて、広く人類の遺産になり得るものだ。
でも、そんな大上段な話はカバーヨにとってはどうでも良いことなのかもしれない。本書の最後で(そう、本書はカバーヨに始まりカバーヨに終わるのだ)彼は言っている。
「私が人に望むのはひとつ。こっちに来て走り、パーティをし、踊って食べて、われわれと仲良くやることだけだ。走ることは人にものを買わせるのが目的じゃない。走ることは自由でなきゃいけないのさ」/P407
今年もこの3月4日に、毎年恒例の(本書のクライマックスを飾る)the Copper Canyon Ultramarathonがあったばかりだ。今年はベアフット・テッドも参加した。日本からも石川弘樹さんが参戦しているので、いつか石川さんから生のカバーヨについてお話いただける機会があるかもしれない。そこにいた誰もが、カバーヨのスピリットを共有しているはずだから。
恐らく日本ではどんなニュースにもランニング誌にも載らないであろう、それでも少なくとも現代文明に生きる僕たちに多大な影響を与えてくれた一人の偉大なるランナーの死を悼み、心よりご冥福をお祈りします。
Run free, amigo.
カバーヨ・ブランコのサイト
http://www.caballoblanco.com/
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